5月4日の月(満月)
夏も近づく八十八夜と歌われる日本特有の雑節ですが北海道では夏というより春も近づく八十八夜です
八十八夜が過ぎて皐月の満月、デジカメも新しくなりましたしお月見を楽しみにしていました
でも午後から天気は曇り、日暮れ頃には雨も降り始めてお月見できるか心配に・・・
風も強くて雨雲が勢いよく流れてゆく上に明るい月光が広がっているのですが肝心の月はなかなか姿を現してくれません
雲の切れ間から月の姿が見えそうになっても何層にも重なった雲が完全に晴れることはありませんでした
しかしK-rからK-50に変わり性能もかなり上がっているのを実感、ISOを上げても月を写す際は満ちていれば100~200
欠けていたり雲掛かりで暗い時なら400~800なのですが1600を超えてもノイズや荒れが気にならない
特に月を写す際は夜空がバックになるので黒い部分にノイズが乗りやすいのですが気になりません
AFも速くなりましたがMFレンズを使っているのでこの辺は月撮影では恩恵を感じませんね(笑)
ただ覗き慣れたK-rのファインダーとは全く違うと感じたK-50、視野率や倍率が上がったのは数字で判りますが何よりもペンタプリズムになってファインダーで映し出される月の像が凄くリアルに見えるというかピントの違いや像の質感を掴みやすくなっています
ISOを1600まで上げて薄雲に掛かった月を写してみると何とかいつも通りの月に写ってくれました
手持ちではSSが遅くできませんのでノイズの少ない感度が上げられるのは嬉しいですね
お月見も出来ましたし久しぶりに月に纏わる話というかアポロ計画に先んじたマーキュリー計画のお話をしましょう
当時、宇宙進出はアメリカとソビエト(ロシア)が冷戦中ということもあって国のメンツをかけた争いでした
多くの人が知っているようにソビエトは宇宙進出でアメリカを常に一歩リードしていました
人工衛星(スプートニク1号)もソビエト、動物による打ち上げ(ソビエトは犬でアメリカはチンパンジー)もソビエト、そして有人による打ち上げ(ボストーク1号)までソビエトにリードされてアメリカはいつも二番手
二番手というより二大国だけの競争でしたので順位ではなく「負け」だったのでしょうね
ソビエトのユーリ・ガガーリンがボストーク1号で初めて地球軌道を1周して帰還したのは1961年の4月12日
同年に日本で「こどもの日」と呼ばれる5月5日にアメリカのアラン・シェパードがマーキュリー3号で軌道を1周は出来ませんでしたが弾道軌道で宇宙空間へと出て帰還しました
この8年後の7月、アメリカは初めてソビエトより先に月へと人間を到達させたのです
当時のソビエトはアメリカとは主義の違う国ですし宇宙進出も成功結果しか公表されていませんでしたので細かいこともわからず子供が夢中になるのはアメリカの宇宙計画ばかり
自分も中学生時代は夢中になってNASAの本や宇宙の本を読んでは宇宙や月への夢を膨らませていました
ですから5月5日は「こどもの日」というより「宇宙へ人類が飛び出した日」として記憶しています